組込みの輪郭

第13回 「人を育てる」から「道具を育てる」へ、農業から学ぶAI有効活用法

2019.02

人工知能(AI)の活用は、単なるブームを脱し、近未来の生活や社会を担う中軸技術になりつつあります。AIの活用法を考える動きが様々な応用分野で広がっています。これからは、現在のマイコンと同様に多様な機器にAIチップが搭載され、それをいかに有効活用するか、組込みエンジニアの腕の見せどころになることでしょう。

ITとは縁遠かった仕事こそ、AI活用が効果的

とはいえ現時点では、どこにどのようにAIを応用すればよいのか、はっきりとした目的を持って応用開発に取り組む人はそれほど多くありません。テレビ番組や新聞・雑誌などで、AIが囲碁の名人に勝ったとか、レントゲン写真から名医でも見逃してしまうような小さな癌を見つけたとか、自動運転の基幹技術になっているとか、といった情報に触れて、その応用に興味を持っている段階の人がほとんどです。

では、どのような応用にAIを活用すると、目覚ましい成果を上げられるのでしょうか。これには簡単で明確な判断基準があります。これまで高度なITの活用と縁遠かった分野こそ、AI活用の効果が大きいと考えればよさそうです。

機械学習や深層学習(ディープラーニング)を活用する現在のAIは、従来コンピュータとは応用適性が全く違います。従来コンピュータは処理手順をマニュアル化できる仕事を効率よくこなすのに向いています。これに対し、現在のAIは、大量のデータの中に潜んでいる言葉や数式では表せない傾向を見つけ出すのに向いています。暗黙知や集合知と呼ばれていたものです。従来ITの応用分野のほとんどは、当然のようにコンピュータが得意な仕事に限られています。ここにAIを活用しても、実はそれほど大きな効果は出ません。従来ITでは効率化できなかった仕事、仕事のマニュアル化が困難だった仕事こそ、AIの活用効果が大きいのです。

「AIみたいなハイテク、うちの仕事には関係ない」と思っている方、AIの活用をまず検討してみたらいかがでしょうか。「うちの会社は勘と経験がものをいう、職人の技や技術者のセンスの世界だからね」と言う方、おそらくAIの活用で世界が変わります。脅すようで申し訳ないのですが、頼りにしていた勘と経験の強みは、AIを活用する世界の競合との競争の中で効力を失う可能性すらあります。

自然と生き物を相手にする農業は作業の機械化が困難

実際、これまでITの活用とはおよそ縁遠そうな分野で、AIを活用し、目覚ましい成果を上げたところがたくさんあります。最も分かりやすい例が、農業です(図1)。特に日本の農業で、AI活用が急激に進み始めています。

図1 ITとは縁遠かった農業でAIの活用が進んでいる。 出典:AdobeStock

人類が生み出した最も古い産業である農業は、物珍しさだけでAIのようなハイテクを活用する産業ではありません。AIが使われるシーンには、それをどうしても使いたくなる、やむにやまれぬ事情があります。そして、農業でのAI活用の動機や活用法を観察すると、農業以外でのAIの使いどころもはっきりと分かってきます。

農作業は、機械による自動化が、他の産業の作業よりも困難です。確かに、単純に畑を耕すとか、田んぼに苗を植えるといった作業は機械による自動化がされています。しかし、それは農作業のごく一部の作業で、収穫量や作物の品質に関わる重要な作業の多くは、人手による作業や人の勘と経験に基づく判断に頼らざるを得ません。作業の機械化を困難にしている2つの理由があるからです。

1つは、扱っている商品が、個体差の大きい生き物であることです。畑で実っているキュウリ1本1本は同じ苗で実っているものでも形や大きさが異なります。実るタイミングすら違うのです。こうした違いを見定めて、手入れや収穫をしないと、高品質な作物は得られません。だから、柔軟性を欠く機械では作業ができず、臨機応変な対応ができる人間の作業や判断が求められるのです。これに対し工業製品は、一定の仕様の内輪に入る製品しか扱っていませんから、作業の機械化はずっと楽です。こうした臨機応変な対応が求められる作業の自動化は、AIだからこそできるのです。

もう1つは、自然を相手にした仕事であり、作業の成果を左右する要因が極めて多様であることです。農作物を的確に管理するためには、天候や土壌の質、国や地域ごとに固有の風土、害虫や病気の発生、品種など、何千もの要因を考慮しながら、何百パターンもの対処を考慮する必要があります。この点でも、作業条件を整えやすい工業とはその複雑さに天と地ほどの違いがあります。しかも、こうした要因の多くは日々刻々と変わるため、複雑に絡み合う要因から迅速に最適解を見つける必要があります。こうした複雑な条件を従来コンピュータで処理するためには、結果に影響する要因と行うべき対処の関係を近似モデルで表現せざるを得ず、それでは満足のいく結果が得られませんでした。このため、人の判断に頼る必要があったのです。こうした複雑な判断にもAIならば対応できます。

高品質志向の日本の農業はAIの絶好の応用先

本質的に機械化が困難な農業なのですが、日本の農業には、どうしても機械化を急ぎたい理由があります(図2)。農業の就業者の高齢化と減少が進んでいることです。現在の日本の農業就業者は、65歳以上が63.5%を占めています。米国、英国、フランスなど先進諸国と比べても突出して高齢化が進んでおり、近い将来に就業者が大幅に減少することは確実です。人手による作業と人の勘と経験が重要な仕事であるにも関わらず、肝心な就業者が減っているわけですから存亡の縁に立っていると言えます。しかも、こうした価値を生み出す勘と経験が、就業者の引退と共に失われつつある残念な情況です。

図2 日本の農業は就業者の高齢化で存亡の縁にある。 出典:AdobeStock

「農作物の調達は、すべて輸入に頼ればよい」と単純に切り捨てることはできません。安全保障上の理由から自国での食料自給率を高めておきたいという事情もあります。それにも増して、日本の安全で高品質な農作物を市場が求めているのです。国内市場で日本産の作物や食肉、酪農品が好まれているだけではなく、海外市場でも日本産の農作物は高く評価され、高値で取引されています。つまり、需要は旺盛なわけですから、供給体制を整えることができれば大きなビジネスに育てることができるでしょう。当然、大手の食品メーカーや外食産業、商社などは、この点に注目して新しい農業ビジネスを模索し始めています。ところがそれよりも速く、より機動力のあるベンチャー企業が積極的な取り組みを数多く進めています。

農作物には、手を掛ければ手を掛けるほど、品質が高まるという不変の法則があります。掛ける手を、人手から機械の手にいかにして変えるかが、潜在的ビッグビジネスを手中にするための鍵となります。こうした、高度な知恵を持つベテランの高齢化で企業や産業が存亡の縁にある例は、農業に限らず他分野にも多いのではないでしょうか。そうした分野ではAIの活用が、有効な解決策になる可能性が高いと思います。

多様で膨大なデータの中から何らかの傾向を見つけ出すのはAIの得意作業であり、傾向さえ見つけることができれば、的確な対処を行うことはそれほど難しくありません。しかも今では、IoTを使って、田畑や作物、家畜などの状態を映すデータを、センサーでリアルタイム取得できるようになりました。「ちょっと畑の様子を見てくる」という農家が日常的に行っている目配りを、居ながらにして、しかもこれまでよりも頻繁にできます。農業に限らず、IoTとAIの合わせ技は、問題解決の極めて有効な手段となります。

海外成功例の単純適用ではAIやIoTの活用は成功しない

AIやIoTを使って、作物の状態や自然の変化にきめ細かく対処するスマート農業を推進しているのは日本だけではありません。例えば、オランダはスマート農業先進国として、とても有名です。同国は、1980年代、当時の欧州諸共同体(EC)が進める貿易の自由化の影響で南欧で大量生産された安価な農産物が輸入され、国産作物が市場競争で敗れ、一度農家が瀕死の状態に陥りました。それがいまや、スマート農業を駆使することで、農産物の輸出額が米国に次ぐ世界第2位とびっくりするような成果を上げています。国土が九州と同程度と狭く、しかも岩塩混じりの土壌ばかりで日照時間も短い農業不適切地でありながら、例えばトマトの面積当たりの生産量は日本の8倍です。オランダの状況を見ると、日本が農業国になることも夢ではないような気がしてきます。

ただし、日本と海外諸国では、スマート農業で目指しているものが大きく異なります。海外諸国は、生産効率の向上を第一に考えた活用に取り組んでいる例が大部分です。これに対し日本では、食の安全や高品質化に注力した活用法の検討と実践が進んでいます。こうした違いは、日本の農業に対する市場の期待に応えるものです。世界市場の中での日本の農産物の価値を際立たせる、正しい方向性であるように見えます。生産効率を追求する他国のスマート農業と同じ土俵で勝負する必要はないと思います。

AIやIoTなどハイテクの応用は、海外の先進的応用例に倣って開発されることが多いかと思います。ITベンダーなどが農業でのソリューションを提案する場合には、海外での成功実績が多い生産性向上の効果を強調しがちです。しかし、実際には、日本の農業の特徴である安全・高品質な農作物の生産に注力した成功例が多く出ています。この点は、ハイテクの応用を考えるうえでの見逃せない示唆を含んでいます。農業に限らず、AIやIoTの応用開発では、闇雲に海外の成功事例にならうのではなく、日本固有の現場のニーズに合った活用法を考えることが何より大切になります。

篤農家を超える成果をAIが出し始めた

AIを活用して、熟練農家(篤農家)の技と勘、経験に匹敵する成果を挙げた例をいくつか紹介したいと思います。
最初は、AIを用いて水やりのタイミングを計り、甘いトマトを作っている例です(図3)。静岡大学の峰野博史准教授のグループは、AIを活用してトマトの葉のしおれ具合を予測し、甘いトマトを育てる給水制御ができる技術を開発しました。

図3 AIで最適な水やりのタイミングを計り、甘いトマトを作る。出典:峰野博史氏、2018年3月1日JST新技術説明会(アグリバイオ)資料「潅水制御のためのAIを用いた植物のしおれ検知ソフトセンサ」

トマトは、南米の降雨量の少ない高地に生えている植物です。与える水分を減らすと実は小さくなりますが、成分が凝縮されて甘くなることが知られています。多少のストレスを掛けた方が、水分の少ない環境に適応したトマト本来の生きる力を引き出せるのです。これは、伝説的な篤農家である永田照喜治氏が考案した永田農法として知られた方法です。ただし、給水を減らしすぎると枯れてしまうため、さじ加減が難しい栽培法です。これを実践するためには、勘と経験によって、生育状況を見ながら適切なタイミングで適切な量の水を与える必要があります。峰野氏のグループは、深層学習を応用して、カメラの映像で検知する葉のしおれ具合、気温、湿度などを加味して、最適な灌水の量とタイミングを判断可能にしました。

次は、AIを使って害虫が発生している場所を見つけ、農薬の散布を最小限に抑えて付加価値の高い低農薬作物を栽培する例です(図4)。オプティムは、ドローンで大豆畑の上空から撮影した映像から、画像認識AIを使って虫食い部分のある葉を検出し、ドローンによってピンポイントで農薬をまく技術を開発しました。これまでは、害虫の発生が見つかれば、畑全体に農薬をまく必要がありました。開発した技術によって、農薬散布量を従来の10分の1以下に抑え、その畑でとれた枝豆は市場価格の3倍で売れたと言います。

図4 ローンで撮影した上空映像からAIで虫食いの葉を見つけ出し、ピンポイントで農薬散布。 出典:オプティムのプレスリリース

ファームノートは、牛の首に加速度センサーを搭載したIoT端末を取りつけて、牛の動きや反芻と呼ぶ咀嚼と消化を繰り返す行為、休息などの様子を検知するシステムを提供しています(図5)。

得られたデータをAIで解析することで、個体ごとの行動パターンを学習し、発情の兆候や病気などの異常を検知できます。常に牛の様子を見守ることで、ベテラン酪農家でも見逃してしまうような微弱な発情の兆候も発見できるようになったと言います。

図5 牛の首輪にセンサーを取り付け、AIで発情の兆候を的確に把握。 出典:ファームノートのプレスリリース

AIネイティブな世代が作る新しい農業の形

現在数多く生まれているベンチャー企業のがんばり次第では、日本の農業のビジネスモデルを一変させる可能性を秘めています。

これまでの農家は、自身の勘と経験をいかに養うかが、よりよい農産物を作るうえでのポイントでした。しかし、これからは勘と経験をAIで育むことを前提としたデータ収集や作業法の開発をしていくことになるでしょう。つまり農業でのAI活用が当たり前のAIネイティブ世代の農業の視点が、人を育てることから、AIを育てることへと変わっていくのです。

安全で高品質な作物を育てる技術が、「人に宿る場合」と「AIなど機械に宿る場合」では、農業ビジネスの展開に大きな違いが生まれます。機械に技術が宿る場合には、技術を容易にコピーして、広く展開できるようになるのです。日本で育てたAIを基にして、海外の事情に合わせたカスタマイズを加えることで、日本の高付加価値農業を世界中で行うことができるようになる可能性があります。

これに類した取り組みが既に始まっています。クレバアグリは、AIとIoTを組み合わせた農業の専門家のための農業クラウドサービスを提供しています(図6)。CO2センサーや温湿度センサーなどで収集した環境データをクラウド上で機械学習し、水分量・日照量などを自動制御するサービスです。このシステムの管理には、中国のITプラットフォーマーであるアリババの「Alibaba Cloud」が使われています。そして、日本の高品質な作物を育成するノウハウを迅速に中国でも展開できるようになると言います。

図6 クラウド上のAIに農作物育成のノウハウを蓄積し、世界に展開。 出典:クレバアグリのプレスリリース

生活水準の向上が著しい中国では、食の安全や品質向上に対する関心が急激に高まっています。日本の高品質な作物に対する需要も高まっています。ただし、供給体制が十分に整っていないため、日本で作った高品種が非合法流出するといった事態も発生しています。こうした非合法手段が蔓延する前に、日本の農業界が中国市場を合法的に取り込んでしまう方が得策かもしれません。

農業から学ぶ、組込みでのAI活用法

日本には、農業だけでなく、安全・高品質なものづくりやサービス提供で、世界をリードしている分野がたくさんあります。正確無比な交通インフラの運行、きめ細かい宅配便のサービス、停電しない電力網、小売店舗でのおもてなしなど枚挙に暇がありません。ただし、こうしたものの多くが、属人的な勘と経験に頼って成立している傾向があります。世界に通用する日本の価値は、AIによって世界に提供する商品に変わる可能性があります。

これまでITとは無縁だった分野でAIを適用するためには、現場を理解して、現場の知恵をシステム化するエンジニアの存在が欠かせません。そして、そうした現場に根差したシステム開発を進めるのに最も適した知見とスキルを備えているのが、組込みエンジニアなのだと思います。組込みエンジニアはAIの活用先を開拓する役割を担っており、AI活用の拡大が組込みエンジニアの価値を高めることになるでしょう。

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