組込みの輪郭

第1回 組込みシステムのこれから

2016.4

はじめまして。エンライトという会社で、電子・機械分野の技術や製品をマーケティングしていくお手伝いをしている伊藤元昭と申します。組込みシステムの分野での出来事やトレンドをやさしく深掘りしていく連載をさせていただくことになりました。よろしくお願いいたします。

一見、無関係だと思えるけど、実は皆さんのお仕事に意外な影響があるようなテーマを選び、応用市場や技術の方向性、エンジニアへの影響などを解説していきたいと思います。

今、組込みシステムの業界は、何十年に一度の変革期を迎えつつあると感じています。

古い話で恐縮ですが、かつての家電製品や制御機器などはASICのような専用ハードを中心に構成されていました。しかし、1990年代後半にデジタル化の波が押し寄せ、電子機器の機能をマイコンとソフトを中心に作りあげる「組込みシステムの時代」へと移行しました。これが、組込みシステムの1つ前の変革でした。カシオ計算機のデジカメ「QV-10」に32ビット・マイコン「SuperH」が採用され、アップルの携帯端末「Newton」に「ARM」コアが搭載され、それぞれ飛躍のきっかけをつかんだのがまさにこの時期でした。

それから四半世紀を経た今、組込みシステムには新しい役割が与えられ、これまでとは違ったシステム構成を採る可能性が出てきています。さまざまな場所で、それぞれの目的で使われる数多くの組込みシステムがITシステムと結びつき、1つの巨大なシステム(システム・オブ・システムズ)として機能する時代が目前に迫っているのです。

この連載では、こうした変革期のダイナミズムを感じ、未来の組込みシステムの姿をとらえる視点を紹介できればと考えています。

「IoT」「ビッグデータ」「人工知能」、その実態はひとつ

最近、「IoT」「ビッグデータ」「人工知能」という言葉が、テレビや雑誌、新聞で話題に挙がるようになってきました。組込みシステムの業界から見ると、すべてのモノをインターネットにつなぐというコンセプトの「IoT」は、いかにも関係がありそうです。ですが、「ビッグデータ」や「人工知能」は、縁遠く見えているのではないでしょうか。

今流行しているこれら3つの言葉は、実は同じひとつの「新しい情報システム」を目指した言葉なのです。巨大なデータセンターを設計している人も、企業が使う業務システムを構築している人も、そして組込みシステムの開発にかかわっている人も、その全体像を俯瞰した上で個々のシステムのあり方を考えることが、とても重要になってきています。

IT産業だけではなく、自動車、産業プラント、建設、医療、金融など、ありとあらゆる産業の企業が総力を挙げて、「ITとET(組込み技術)の融合」による次時代を担う情報システムの構築と、その利用法の確立に取り組んでいます。

「ITとETの融合」とは、ざっくり表現すると、次のような状態を指しています。「あらゆる場所に置かれたモノから情報を吸い上げ、これをインターネット経由でデータセンターに集めてビッグデータにまとめ、これを人工知能で傾向を整理・分析して、人々の生活や社会活動をよりよいものにするために活用する」というものです。

グーグルの成功モデルを現実世界に拡張

21世紀のIT業界では、ネット上を飛び交う膨大な情報を整理・分析し、これをネットのユーザーの誘導に利用することで、広告ビジネスで大成功した企業があります。そう、グーグルです。グーグルのビジネスモデルは、長い間この世の春を謳歌していたテレビコマーシャルのビジネスを、弱体化させてしまうほどの大きなインパクトを与えるまでになっています。

現在構築しようとしている「ITとETの融合」では、これまたざっくり表現すれば、大成功したグーグルのビジネスモデルを、「IoTで仮想世界から実世界に拡張し、ビッグデータを扱って規模を大きくし、人工知能を利用して応用分野をもっと拡げよう」としています。

グーグルの最もポピュラーなサービスであるネット検索を実世界に拡張すると、何ができるようになるのでしょうか。パソコンに「今、渋谷のスクランブル交差点を横断している外国人は何人いるのか」と問うと、正確な答えが得られるようになるかもしれません。まさに“神の眼”と言えるものです。

既に、「ITとETの融合」の効果を生かした、新しい仕組みやビジネスが登場してきています。自動車の運転状況をモニタリングして自動車保険の料金を変える、監視カメラの映像からテロリストを見つけ出す、橋や道路の老朽化を事前に予測して無駄のない補修をする。これらは、いずれも既に実用化されています。

ものづくりの第4の革命と言われる「Industrie4.0(インダストリー4.0)」や、大手銀行など金融業界が大慌てで対応に追われている「FinTech(フィンテック)」も、「新しい情報システム」のひとつのかたちです。

人工知能の教材集めが、組込みシステムの重要な仕事に

「ITとETの融合」が進めていった情報システムの中で、これからの組込みシステムはどのような役割を担うことになるのでしょうか。

カーナビやデジカメ、計測器などの機能が、突然ガラリと変わるとは思えません。このため、組込みシステムのコアの部分が大きく変わることはないでしょう。また、ユーザーインタフェースの部分もそれほど変わらないと思います。しかし、システムを組込んだ機器から情報を吸い上げ、インターネット経由でデータセンターに送り込む機能については、大きな変化が求められることになります。

「ITとETの融合」による情報システムの機能や性能の優劣は、そこで使われる人工知能がどのくらいかしこいかで決まります。医療サービスで患者さんに的確なアドバイスをしたり、金融サービスでニーズに合った資産運用をしたり、工場で製品の組み立てに使う部品の在庫管理をしたり、人工知能が的確な判断を迅速、低コストで下していくようになっていきます。人工知能のかしこさが、サービスの質に大きく影響を及ぼすことは、容易に想像できます。

アマゾン社の倉庫で利用されているIoTや人工知能を利用した自律型ロボット 出典:CNET News

これまでのコンピューターと人工知能の間には、処理の品質を考えるうえでの決定的な違いがあります。

これまでのコンピューターは、処理を実行するプログラムの出来が、処理の品質を決める主な要因でした。これに対し人工知能は、かしこくなるための質のよい学習用教材をいかに多く集めるかが、処理の品質に直結します。これは人間の学習と同じですね。生まれながらの頭の良し悪しは多少あったとしても、生きていく中で何をどれだけ学んだかの方が、学校や職場での実績に大きく影響します。プログラムの作り込みよりも、学習用教材となる質のよい情報の収集こそが重要になるのです。

そして、良質な学習用教材を集める入り口となることが、これからの組込みシステムに求められます。「質のよい情報を、じゃんじゃんデータセンターに送り込むこと」ですね。おそらく、ここの「質のよい情報」という部分が組込みシステムの優劣を決めるポイントになることでしょう。センサーで検知したままのノイズを含んだ情報は質がよいとは言えません。また、ハッキングを受ける可能性がある情報も同様です。人工知能は、質の悪い情報を基にして学習すると、しつけの悪い犬のように育ってしまうのです。こうした、組込みシステム側で「質のよい情報」に選りすぐる処理は、「エッジコンピューティング」と呼ばれています。

これからの組込みシステムに向けて、業界のかたちが変わってきた

米国のクイズ番組で優勝したことで有名な人工知能「Watson」を開発したIBMは、2015年に日本のセンサーメーカーであるアルプス電気と提携しました。狙いは、質のよい情報を収集して、人工知能を健全に育てることができるプラットフォームを作り上げることにあります。

また、半導体業界では、ICカードのセキュリティチップで圧倒的なシェアを持つオランダのNXPセミコンダクターズが、米国のマイコンメーカーであるフリースケール・セミコンダクタを買収しました。日本では、世界最大の車載半導体メーカーの登場として話題になりましたが、世界的にはIoT時代の強力なマイコンメーカーの誕生ととらえられています。「ITとETの融合」を前提にしたこれからの組込みシステムを作り出すため、着々と業界構造が変わってきているのです。

米国のクイズ番組「Jeopardy!」で優勝したIBMの人工知能「Watson」出典:IBM

「ITとETの融合」によって、少子高齢化やエネルギー問題、環境問題、格差問題、テロ対策など、これからの社会が抱える問題の解決が期待されています。バリバリ働いて高齢者を支える若者の代わりをするため、医師や弁護士など高給取りの専門家と同等の知見を広く利用できるようにするため、軍事行動では対処できない自国に潜入したテロリストに対策するため、IoT、ビッグデータ、人工知能の活用が求められているのです。

特に人工知能を上手に育てるための場所として、日本は極めて有利な条件を備えていると言えます。少子高齢化やエネルギー問題など、世界がこれから直面する多くの社会問題に、先駆けて対策していくことになるからです。世界垂涎の良質な学習用教材が、日本にあるわけです。そこで使われる組込みシステムの価値は、とても高いと言えます。

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